宮原知子が平昌五輪へ!浜田コーチと出会ったきっかけとは?

フィギュアスケート女子の宮原知子選手(19)が『全日本フィギュアスケート選手権2017」で優勝し、2018年2月に韓国で行われる冬季オリンピックこと『平昌五輪』の日本代表選手に内定しました。

今大会も圧倒的な演技の完成度で優勝を勝ち取った宮原選手ですが、この日が来るまでに様々な試練や困難を乗り越えてきており、宮原知子選手のコーチである浜田美栄コーチや宮原選手の両親、祖父母の支えがあってからこそ頂点に上り詰めたのです。

今回は宮原選手の生い立ちや彼女を支え続けた人たちについて調べてみました。

 

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宮原知子選手について

  • 宮原知子(みやはら さとこ)
  • 1988年3月26日生まれ。19歳。
  • 京都市出身
  • 身長:151センチ
  • 関西大学在学中
  • 2015年世界選手権(上海)銀メダル獲得

というように小柄ながらも真面目な性格で、練習に次ぐ練習を重ね現在に至っています。

 

宮原選手がスケートを始めたきっかけ

宮原選手が4歳の時は医師である両親(父:呼吸器外科、母:血管内科)が留学のため、アメリカのヒューストンで一家は暮らしていました。

その4歳の時に宮原選手はヒューストンの街のスケートリンクでスケートを始めます。

最初から才能があったようでアメリカのコーチのもと、試合に出るほどに短期間で上達しました。

 

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宮原選手と浜田コーチが出会ったきっかけ

両親の留学が終わり京都市に帰国することになった時(宮原選手、小学1年生2月時)にアメリカのコーチからこんなアドバイスをもらいます。

『知子、日本に帰ったらリンクで綺麗にジャンプしている子に誰に教えてもらっているか聞きなさい!』

そしてその京都市のスケートリンク場『醍醐スケート』で綺麗にジャンプしている子に教えてもらったコーチが運命の人、浜田美栄コーチ(58)と出会うことになります。

しかし、このリンクが帰国後6か月で閉鎖してしまい、浜田コーチや宮原選手は1時間以上かけて大阪府の藤井寺市や兵庫県の姫路市まで行き練習を重ねます。

学校が終わってからの練習で往復で2時間以上かかるということはかなりハードな生活をしていたんですね。

彼女もですが、浜田コーチも相当大変だったでしょうね。

練習が終わって帰宅するのはは毎日深夜で週1回の休みだけだったそうです。

そんな生活が宮原選手の専属スケート場になる近くの関大リンクになるまでの間の小学5年生まで長期にわたり続きました。

でも、宮原選手はリンクを転々としたり、ハードな生活をすることで、

どんな大会でも嫌だと不平言ったことがない。

スケートをやめたいと言ったことは一度もない。

そう親御さんは言っています。

そんな甲斐あって今回の大会の優勝を成し遂げたんですね。

 

 

もし米国コーチのアドバイスがなかったら、二人は出会うことなく有名になった上記の写真のようなおでことおでこを合わせる光景はなかったかもしれませんね。縁があるということはすごいことです・・・

今回の優勝インタビューで『浜田美栄コーチとは?』という問いに

「お互いに涙してしまって、あまり覚えていないけど、『本当によくがんばった』といっていただいた。少しでもつらい時期に助けてくれた恩返しができた」

『本当によくがんばった』『つらい時期に助けてくれた恩返しができた』=先に書いたハードな過去のことを言っているのだと思われます。

 

まとめ

 

宮原選手の外見や生い立ちからみて、何も苦労せずぬくぬくと育ってきたのだとばっかり思っていたのですが、今回の記事で彼女の凄さというものを痛感しました。

練習場のリンクが遠い時に共に頑張った浜田コーチや仕事で忙しい両親に代わり、京都市から1時間かけて他県のスケートリンクに宮原選手を毎日送迎した祖父母や医者という激務でありながら支えてくれた両親のため、そして常に見守り続けた浜田コーチのため、そしてあらゆる困難に打ち勝ってきた自分自身のためにも悔いのない演技をされるように心から応援しています。

宮原知子選手頑張ってください!!

 

 

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